北日本放送|KNB WEB [テレビ] 1ch/[ラジオ] AM738kHz/FM90.2MHz

  • ゲストさん
めっぴ
ゆっちゅ
エチュー

9/27(火) きょうの天気

東部
25℃ 20℃
西部
24℃ 20℃

グッドミュージックをフルコーラスでお届けします♪音楽が一番輝いていたあのころに、青春を過ごした人そして、そんな時代の音楽が大好きな人へお届けする30分です。

竹中晃のコラム ポケットにいつも音楽を入れて -ロック・おやじのつぶやき-

“Sukiyaki-ビルボード1位から50年”~あらためて想う偉業のすごさ

「上を向いて歩こう」こと「Sukiyaki」がアメリカのビルボード・チャートで1位を記録してから今年で五十年を迎えた。「Sukiyaki」は一九六三年六月十五日付けで女性アイドル歌手レスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティ」に代わって1位になると、三週に渡って1位を独占したのだ。

これは日本のポップス史上初めてのことであり、言うまでもなくこの後現在まで日本の楽曲がビルボード・チャートで1位になったことはない。ピンクレディが一九七九年に「Kiss In The Dark」で37位を記録しているが、これが「Sukiyaki」以外の最高順位である。

それにしても日本語で唄われた曲が全米1位になるというのはとんでもないことだ。この状況を現在のポップシーンに置き換えて考えてみると、その“とんでもなさ”がよくわかる。

ある日本人の歌手が普通に日本語で唄っていた日本のオリジナル・ポップス曲が、ある日突然、英語を母国語とする世界最大のポップス大国の人々に注目されて売れに売れ、ついには百万枚突破、チャート1位になる!と・・・。

なんともこれは空想どころかSF小説にもならないぐらいリアリティのないストーリーだ。

だが、一九六三年に中村八大=永六輔のソングライティング・チームと歌手の坂本九がそれを現実にやってのけたわけだから、空前絶後!前人未踏!すごいとしか言いようがないのだ。

「Sukiyaki」、いや「上を向いて歩こう」は日本では一九六一年に発売された。当然ながらこの時点では海外ではリリースされていないが、日本国内では発売当時からかなりヒットしていたようだ。

そういえば私も小学生のころに♪上を向ういてぇ~と口ずさんだ記憶がある。レコードの発売年からすると小学四~五年生あたりということになるが、そういえばその少し後だと思うが「上を向いて歩こう」の替え歌を唄っていたことを憶えている。

替え歌の歌詞は♪下を向ういてぇ歩こおうよ~お金が落ちていない~いか~と唄う、いかにも小学生が好きそうな他愛もない替え歌だったが、これはどうも全国各地で唄われていたようだ。

とにかく小学生が替え歌で唄うということはよほどのことで、それぐらい「上を向いて歩こう」がヒットしていたのだろう。

しかし、そんな「上を向いて歩こう」が一九六三年にビルボード1位を記録したというニュースは果たしてどこまで伝わったのだろうか。このへんのことは私が子供だったこともあるだろうが、まるでわからない。

ただ情報が少ない時代のことでもあり、リアルタイムの情報は一般の人々には入っていなかったのではないだろうか。また仮に入っていたにせよ、<ビルボード>がなんなのか知らない多くの人々にとっては関心の外だったと思う。

したがって今なら世を挙げての大騒ぎになるであろうビルボード1位という偉業も、当時は関係者や少数の音楽ファンは別にして、ほとんどスルーされたのではないだろうか。

ただそうは言っても、<なんでも「上を向いて歩こう」が「Sukiyaki」という題名でアメリカで流行っているらしい>というような感じで徐々に日本中に伝わっていったのだと思う。

たぶん私も六十年代も半ばあたりに欧米ポップスを聴くようになった中学生の時点でようやくこのニュースを知ったような気がする。

もっとも、それがとんでもない快挙であり偉業だったと本当の意味で理解できたのは多少なりとも音楽知識が深まった七十年代に入ってからのことだった―。

と、そんなわけで今月十七日の放送は“世界でもっとも有名な日本の歌”「上を向いて歩こう/ Sukiyaki」を恒例の一曲集中!というスタイルでお送りします。

世界的な名曲ゆえに多くのカバー・ヴァージョンがあって選曲には悩みましたが、そのあたりも楽しんでいただけたら幸いです。

  • KNB投稿BOX