“CREAM”が日本に現われた日

CREAMを知ったのは、彼ら最大のヒット曲「ホワイトルーム」をラジオで聴いた時だった。1968年のことだ。ビートルズとはまた違うドラマチックなイントロに続いて始まる硬質なヴォーカル、そしてクラプトンのファズで歪んだソリッドなフレーズが炸裂するわけで、その衝撃的なサウンドはロックの知識がさほどない少年にも“別物”だと思わせるにはじゅうぶんだった。
こうしてCREAMの名前を憶えたのだが、ビートルズ中心に動いていた当時の日本のメディアでの彼らの扱いは圧倒的に少なく、またロックシーン自体も目まぐるしく変化していた時代だったこともあって、次第にCREAMの存在感は薄れてしまった。確か、CREAM解散のニュースさえ随分とささやかなものだったような気がする。
次に彼らの名前を聞いたのは70年代に入ってからだった。その頃はすでにCREAMというバンドとしてではなくて、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーという個別のミュージシャンとして彼らを認識していたわけで、彼らに<元CREAM>というイメージはまったくなかった。
そんななか、突然、CREAMという名前を耳にした。NHKで不定期に放送していた<ヤング・ミュージック・ショー>でCREAMのライブが放送される、と。
以前にも書いたかもしれないが<ヤング・ミュージック・ショー>について簡単に記すと、この番組はNHKが不定期に放送していた日本初の本格的なロック映像番組だった。不定期ゆえに放送日が分からないというもどかしさはあったが、ロック少年やロック少女必見の番組だった。
とにかく、当時は音楽雑誌のグラビアやレコードのジャケット以外にミュージシャンの姿を見ることが出来なかった時代だ。そんな時代にロック・ミュージシャンの“動く映像、ましてやライブ映像”をテレビで観ることが出来るというのは大げさではなくて夢のような出来事だった。
番組の内容は欧米で放送されたロックバンドのライブ映像を字幕スーパー入りで放送することが主だったが、後年は日本でのライブを独自に収録放送した回もあった。放送時間はおそらく45分前後ではなかったかと思う。
さて。
CREAMのライブが放送される!というビッグニュースは瞬く間にロック小僧の間を駆け巡った。
データを見ると、CREAMのライブが放送されたのは1972年5月7日のようだが、
ケイタイもパソコンもない時代のこの日、手分けして連絡しあって―自転車で友人の家を走り回ったヤツもいたと思う―テレビに食いついた。当然だろう、エリック“スローハンド”クラプトンのギタープレイを初めて!観られるのだから。
この日放送された映像は、1968年11月26日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたCREAMの解散コンサートだった。つまりは4年前の映像だったのだが、そこに違和感はまったくなかった。あったのはCREAMの信じられないようなライブ・パフォーマンスの衝撃だけだった。
こうして遅ればせながら、僕たちの眼の前にCREAMが現われた。折しも日本では<日本のロック>が夜明けの時代を迎えようとしていた。そんな中でのCREAMのライブ映像は日本中のロック小僧を奮い立たせたに違いない。
このライブ映像で今でも憶えているシーンがある。エリック・クラプトンが楽屋かどこかの部屋の片隅で、『こうやって弾くのさ、見てろよ』みたいな感じで♪タリラリラリ~とフレーズを弾いた。いやもう、ギター小僧のハートはこの瞬間に鷲づかみにされたのだ。それはけっして僕だけではなかっただろう。